日常のとなり。

巨樹。―樹は私たちをずっと見てきた―

巨樹が今なお新たに発見されている?

 

日本は、どんな地域を旅していても、たいてい巨樹・巨木に遭遇する。
素通りする手もあるのだが、立派な立ち姿は、目にして帰りたいもので、立ち寄り、幹の周りを歩いたり、見上げたり、根元に腰掛けたり、手で触れたり。
そうこうしているうちに、つい長居、となってしまうこともしばしば。

環境省自然環境局生物多様性センターでは、昭和63年(1988)より自然環境保全基礎調査のひとつとして巨樹・巨木林調査を行っている。調査はこれまでに7回実施。調査だけでなく、民間の有志から寄せられた情報も含め、現在7万本以上の巨樹・巨木が登録されている。
巨樹・巨木の基準は、地上から1.3mの高さで計測した幹回りが3m以上あること。幹回りが3m以上に育ちにくい樹種については、3m未満も調査対象となっている。
おもしろいのは、今も毎月、何十本もの巨樹・巨木が報告され、データベースに追加されていること。特筆するほど広大な国土を持っているわけではない日本だが、まだまだ、知られていない巨樹・巨木はあるし、地域人たちが大切に護ってきてくれているおかげで元気に天を仰いでいる樹木には、地域外に知られていない存在があるということだろう。

 

寺や神社の近くに巨樹・巨木はなぜ多いのか。

 

巨樹・巨木がある場所として寺や神社が多い。これにはいくつかの理由がある。たとえばイチョウは、もともと防火の意味もあったそうだ。イチョウは木々の中でも水分含有量が多い、難燃性の樹木。燃えにくい樹木を敷地内に植えたからといって、火事にならないことはないのだが、そこは「願い」の部分。
釈迦は沙羅双樹の下で最後の説法を行い、涅槃に入られた。人が集まる場所には、木陰がいいのだ。寺も神社も人が集う場所。そこに木を植えるなら、難燃性の樹木を、ということだろうか。
イチョウはさらに、良く育つ。高さが10mを超えるものもたくさん。そうなると遠くからもそこに寺社があることの目印になるわけで、シンボルツリーとしてうってつけだった。

理由はほかにも。
寺や神社の建物は木造主体であるがゆえ、定期的に建築材料としての木が必要になる。それも大量だったり、1本で太い物だったり。都度探しにいっている訳にもいかないだろうから、敷地内で育てていたのが大きくなった、のだとか。
もちろんそれだけでなく、アニミズム的な見方をすると、人間は太古から、巨岩や巨樹には神が宿ると考えてきた。巨樹は御神木として祀られることもあり、ゆえに寺や神社の敷地内に巨樹・巨木を見ることが多い。巨樹があり、あとから堂宇や社殿が誕生したところもある。

 

巨樹・巨木の現状から地域が見える

 

平成14年に購入した『第6回自然環境保全基礎調査 巨樹・巨木林フォローアップ調査報告書』に、とてもステキなことばがあった。

〜今ある巨木のほとんどは、人間若しくは人間が形成してきた地域社会との関わりあいの中で残ってきたものとも言えます。今後の巨木の保全の方向を考えた場合に、人間及び地域社会との関係性は無視できないものであり、その現状をしっかり見据えた上で保全方策を模索していかなければなりません〜

全国にある巨樹・巨木には、地域の成り立ち以前からそこにあるものも多い。が、それを現代にまで護り、伝え続けてきたのは人だ。ところが、まちとしての営みを終えようとしている地域が各所に出現している現状で、そこに立ち、人の営みを見守ってきてくれた巨樹・巨木の存在は置き去りになってはいないか。
かなりの町外れで出合った巨樹のことを聞こうにも、近隣に人が暮らしていない場合も多い。地域が廃れ、枯れていく巨樹もある。そんな樹木は、とても寂しそうで、悲しみをうちに抱いた姿をしている。ずっと営みを見守ってくれていたということは、存在そのものが地域のひとつであり、巨樹・巨木が生きている年月は、人との関わりあいの歴史でもある。
守っていきたいものだ、次代も人々が集える場として。

 

夏、九州のいくつかの神社を巡り、巨樹・巨木に逢ってきた。観光客でごった返しているところ、地域でひっそりと、しかし大切に人々を見てくれているところ。御神木もあれば、同等に立派な樹木だがそこにあるだけの木もある。優劣は木の側にはなく、人が設けた。
木は立っているだけで尊い。木陰になり、建材になり、暖をとる元となり、器にもなる。人にしっかり寄り添ってくれている。大きさや姿形ではなく、その意味で、神々しいのだ。

 

巨樹・巨木林データベース

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