日常のとなり。

いまとむかし。姿の違うまちを思う面白さ。日本海・佐津

レジャーブームで海水浴場と民宿のまちへ

 

夏。海水浴シーズンに、山陰の小さな集落・佐津を訪ねた。

白砂青松のコンパクトな海水浴場と、その岸部まで歩いてゆける距離に散らばっている民宿があり、日本海につながる佐津川が中心に流れる、小さな集落だ。
現在は、夏の海水浴と冬のかにを目当てに人々が訪れるこのまち、海水浴の歴史は、昭和8年から。当時の記録では滑り台やブランコ、飛び込み台も設置されていた。
昭和30年代のレジャーブームで、日本海沿岸にも海水浴の波が押し寄せたようだ。それまでの佐津は農業と地引網漁が暮らしを支えていた。しかし昭和35年頃から、漁法の改良により湾に魚が入ってこなくなり、漁業はしぼんでいく。
やがて海水浴客の増加に合わせ、昭和39年民宿が始まった。最初は「なぎさ」と「かめや」。のち、増えていく。
今では「海水浴の宿」と書かれた看板を掲げる宿も多い。

とはいえ、歩いてみると実にのどか。
道行きですれ違う地域の人はみな挨拶を気持ちよく返してくれるし、何より、山から海へ吹き抜ける風が集落の路に沿っても吹き進み、穏やかで、平穏で、やわらかな気持ちになる。

多くの民宿が玄関横にシャワーや足洗い場を設けているため、海水浴を楽しんだ宿泊客は浮き輪や水中メガネを手に、ビーチサンダルをペタペタいわせながら、宿へと向かう。
その様子もなんだか、微笑ましい。

 

 

違った確度で見てみると

 

日本海に向かって開く小さな湾を中心と感じる(海側に集落が集中しているからだが)、そんなまちだけれど、とても手入れの行き届いた沖野神社があった。
鎮座は702年(大宝2)。県指定の無形文化財「三番叟」が、今でも秋祭りに開催されていると聞く。
三番叟は天下泰平、国土安穏、長久円満息災延命などを祈願するとともに五穀豊穣を祝う伝統芸能で、佐津では訓谷地区の沖野神社に、佐津を含む香住町では香住区内6か所、小代区内1か所の計7か所で受け継がれている。

そういえば民宿から浜までの路を歩いているとき、小学校前に地域の文化財を記した絵地図が掲げられていた。そこには式内社があり、磨崖仏があり、魚見台跡があり、城跡があり・・・。
それぞれは小さいながらも、一つひとつ、まちの人たちによって、大切に守り、受け継がれているのだと気づく。

まちの成り立ちでは、『大昔に大洪水が起こり、現在集落の中心となっているところに土砂が堆積。言い伝えでは、訓谷の地下は一大盤石で、その上に佐津川と海の土砂が堆積して平地を構成した』とか。

面白い。

 

 

籠もるように楽しむ時間があっていい。

 

そうそう。海辺のまちに宿を取るとつい、どこかうまい魚を食べさせてくれる店は、なんて欲求が頭をもたげてくるが、佐津にはない。地元の人がきっぱりと、そう言った。

地の魚を使った宿のご飯はうまい。それだけでいいではないか。ほろ酔いの体は、夜の散歩で覚ますべし。
じっと、このまちを感じるのだ、籠もるように。
あちこち見回り、食べ回るではない、こんな旅も、発見がいろいろとあり、愉しいものだ。

 

兵庫県美方郡香美町香住区 佐津

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