日常のとなり。

静かに、静かに小さく生き続ける、紀州湯浅のまち。

江戸期の街並みに、新たな名物を見る。

 

和歌山県の湯浅醤油は、醤油発祥のまち。
『「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地』として、文化庁の日本遺産に登録されている。

JR湯浅駅から北西方面に10分ほどだろうか、
静かな町並みを歩いて抜けると、日本遺産の構成文化財である「国選定重要伝統的建造物群保存地区」へ着く。
この地区には江戸末期の建物で現在も醤油醸造を続けている『角長』、手づくり金山寺味噌の『太田久助吟製』、
江戸時代嘉永年間から昭和60年(1985)まで、醤油醸造に携わる人々や漁師など町の人が利用していた銭湯『甚風呂』など、趣きのある建物が立っている。
地区の人に話を聞くと、平日は静かだが、週末になると多くの人が街歩きを楽しんでいるという。
今回訪れたのは平日後半の木曜日で、歩く人はまばら。
いくつかの建物では、ひな人形とつるしびなを展示していた。

ひな祭りの時期が近づくと、商家などで大切にされてきたひな人形を展示する催しが日本各地で行われているので、それかと思ったが、
どうも湯浅のものは、発端が異なるらしい。
少し前のコロナ禍で産業の不振が続いた湯浅町。
コロナ禍が早く去りますように、まちが元気になりますように。そんな願いを込めて、
令和2年(2020)に当時の町の人口に合わせた1万2000体のつるしびなを作るプロジェクトが立ち上がり、
令和7年(2025)のひなまつりで、ついにお披露目となったのだった。
鈍い輝きを放つ木造の建物と、色鮮やかなひな人形やつるしびなのコントラストは、目を楽しませてくれる。

これが新たな名物になると、なかなかいいかも知れないナ、などと考えながら、ひな飾りを眺めて回った。

 

 

醤油の前に、味噌と声高に言いたい。

 

先述の通り、湯浅は醤油発祥のまちで知られているが、醤油は、味噌造りがないと生まれることはなかった産物だ。
鎌倉時代、当時の中国(南宋)にあった径山寺(きんざんじ)から、法燈円明國師(ほっとうえんみょうこくし)という僧侶が味噌の製法を持ち帰った。
國師は湯浅の南にある由良に興国寺を開き、この味噌を寺で作ったのだが、それが湯浅に伝わったという。
水のいい地域でもあった湯浅では、夏野菜を刻んでこの味噌煮漬け込むようになり、これが現在の金山寺味噌である。
そして、金山寺味噌味噌を造る工程で、漬け込んだ樽では野菜の汁を含んだ「溜まり」が出るのだが、これを調味料として使い始めたのが、醤油の起こりだ。
湯浅ではその後、醤油を造る目的で味噌を仕込むようになったとか。

江戸時代の湯浅には醤油蔵が何軒もあったそうだが、多くは醤油造りの機械化(大手メーカーの誕生)とともに消えた。
現存する醤油蔵のうち最古の蔵は、天保12年(1841)創業の『角長』。
そういえば『角長』から北町通りを東へ少し歩くと、かつては醤油造り、現在は醤油蔵で金山寺味噌を手づくりしている『太田久助吟製』がある。
こちらの蔵も天保12年にできたもの。『太田久助吟製』の当代曰く「その頃に蔵を含めたこの辺りの町並みが整備されたので同じ年なのでしょう」。

ちなみに湯浅や近隣では、各家庭で金山寺味噌をつくる伝統があるそうで、
現在でも町の人が『太田久助吟製』に麹を注文し、家庭で野菜を刻んで漬け込んでいるそう。

湯浅は醤油のまちと言う前に、やはり、「味噌! それも金山寺!」と、できれば声高に言いたいものである。
が、金山寺味噌の発祥は、というと國師が開いた興国寺になるので、あまり声を大にはできないのか・・・。

蛇足だがこの興国寺はいまも由良町にあり、臨済宗の名刹であり、尺八の日本発祥の地でもある。

 

 

 

保存地区の周りが、とても寂しいのだった。

 

さて、「国選定重要伝統的建造物群保存地区」それ自体はそんなに広いエリアでもないので、
ブラブラと歩いて回って2、3時間もあれば回れる。

そういえば湯浅は、和歌山県屈指のシロウオ漁港だったはず。
毎年3月下旬にシロウオまつりも開催されているから、海側へ歩けば、春も近いことだし、何かしら港の活気を感じられるのではないか。
・・・と考えて歩き出したものの、数分後に、それは寂しさとなって我が胸に返る。

湯浅の町には、車が行き交える比較的広い道路の「通り」、通りをつなぐように縦横に走る「小路」の2通りの道がある。
ちょっとそれて小路に入ると、立派な門構え、威風堂々とした屋根、そんなものを持つ日本家屋がちらほら見られるのだが、結構無人となっている家屋もあった。

中には大きな石灯籠が立つ庭園を有する家もあり、どれも保存状態がいいとは言えず。
さらに海側へ足を進めてはみたのだが、
だんだんと静けさが増し、なんだかしらけてきて、結局はさほど進むことなく、湯浅駅方向へ戻ったのだった。
もちろん駅までの道すがらでも、廃屋やそれに近いものがポツリ、ポツリ。
素人目に見て、たいそう立派な造りと覚しき家屋もいくつか。
これらもセットで保存できなかったのかなぁ、としみじみ感じたものだった。

営みは永続的ではない、とはどの地域でも感じられることだが、
人々が生きてきた証のような、それすらも消えてしまうのではないかと、危機感を覚え、湯浅をあとにする。

駅前だけがキレイになっているのが、気にはなりつつ。

 

「最初の一滴」醤油醸造発祥の地 紀州湯浅

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