日常のとなり。

江戸と明治をまたいだ、本州最南端のシンボル。潮岬灯台。

実は正式点灯の3年前に、一度輝いていた。

 

本州最南端の地として知られる、和歌山県串本町の潮岬。ここには、明治6年(1873)から正式点灯を開始した潮岬灯台がある。建設当初は木造八角形で、パンフレットによると、日本で最初の洋式木造灯台とされる。
岬の先に広がる熊野灘は古くから海上交通の難所であり、開国を前にした慶応2年(1866)、江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランス、オランダと締結した江戸条約により設置が決められた全国8か所の灯台のうちのひとつだ。正式点灯は明治6年だが、さかのぼること3年前の明治3年、実は試験点灯が行われている。明治11年には木造から石造りに改修が行われ、現在の灯台はその当時のもの。
ちなみに江戸条約に記載されている8か所の灯台のうち、2か所がこの串本町にあり、もうひとつは樫野崎灯台で、コチラは日本で最初の石造り灯台。蛇足だが、日本で最初の西洋式灯台は、明治2年に建てられた神奈川県の観音埼灯台である。

ともあれ、大海原の深いブルーをバックに凛々しく立つ潮岬灯台の白い姿は、とても精悍。

 

 

前から見るか、離れて眺めるか。

 

さて、潮岬灯台。日本で16本ある「登れる」灯台のひとつのため、つい現物の前まで行ってしまう。それはそれで、いろいろ観察できて面白いもの。
が、ボーッと眺めていたいなら(そういう人がいれば、の話)、灯台から少し東へ動いた、展望所や見晴台のある場所をおすすめしたい。ここは望楼の芝とも呼ばれる場所があり、そこから遊歩道を西野方へ歩いて行くと、目の前がブワッと開ける。圧巻だ。
自分の小ささを実感できるほど、海原は広く、空はさらに広く、風が抜ける。

もし車で訪れるなら、一度現地から離れ、岬の外周を走る道路・潮岬周遊船を時計回りに回ってみるといい。キャンプ場を過ぎ、緩やかに右へカーブするあたりから、左側に海景色が姿を現す。そのまま望楼の芝をやり過ごすと、目の前の森の上にちょこっと、ほんの一瞬だが白い姿が見える。

あぁ、ドライブに来たんだなぁ。そんな暢気な言葉がつい口から出る、そんなひとときだ。

 

 

灯台の森の中、佇む社殿。

 

そうそう、灯台まで向かったら、その先の森へも歩みを進めてほしい。道の終点には潮御崎神社がある。もともとは別の場所に鎮座していたが、2度にわたる遷座を経て、貞観12(871)に現在の地へ落ち着いた。
江戸時代頃からは近隣の鰹漁を行う船主達が毎年数回神社に集い、神官の立ち会いのもと、漁に関する取り決めを行っていた。このしきたりは、集った際の安全豊漁祈願とともに戦前まで続いていたという。同じく江戸時代頃から御弓式という神事が毎年1月5日に執り行われており、現在も続いている。
拝殿と一体となった本殿、小さな社務所と境内社があるコンパクトな境内だが、森に囲まれたその場所は、耳を澄まさないと海辺だとは気づかないほど、木々に囲まれている。周辺が石垣に囲まれているのも、ちょっぴり別世界感。

本州の一部ではあるが、ここはやはり、本州と少し異世界ではないかと、訪れるたびに思うものだ。

 

 

 

潮岬灯台
和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2877

 

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