日常のとなり。

1000年の物語が詰まる街道。鈴鹿峠

箱根と並ぶ東海道の難所へ

 

三重県まで鰻を食べに行こうか。
ふと思い立って車を走らせる。

三重県、特に津市周辺は海と川が近く、河口でシラスウナギがよく獲れたようだ。江戸時代には食べられていたようで、昭和前期には全国有数の鰻の産地で知られるようになっていた。
個人的に贔屓にしている店が亀山にあるため、今回は東海道を東へ向かう。鈴鹿峠を越えれば、その先が亀山市だ。

くねくねと曲がりくねった山越えの道が続く鈴鹿峠は、箱根と並ぶ、東海道の難所とで知られてきた。
京の都から近江を抜け、土山から鈴鹿峠を越えて、古代律令の三関とされた鈴鹿関へ至る。

都が奈良の平城京から京の平安京に遷ったのち、仁和2年(886)に、それまで大和から伊賀を通っていた東海道が、近江から鈴鹿峠を越える、現在の国道1号線をなぞるルートに変更された。その頃著された、六国史のひとつである勅撰国史『日本三代実録』には、阿須波道と呼ばれたこの道がこの年の5月に設置され、6月には親王が、9月には斎王が通ったと記されている。

鈴鹿峠を挟んで滋賀県側の甲賀市土山に土山宿、三重県の亀山市坂下に坂下宿と、それほど離れていない場所に宿場がふたつ。江戸時代には、土山宿で、以前からあった斎王の頓宮に加え本陣2軒、坂下宿では片山神社近くに頓宮(があったとされる)、本陣3軒と脇本陣1軒、旅籠48軒が旅人を迎えた。
往路と復路、どちらも峠越えの前にはひと息ついておく必要があったのか。「鈴鹿馬子唄」で歌い継がれているように、峠のあちらとこちらでは天気が異なることが多いほど、天候の変化が激しい場所でもあったため、足止めを余儀なくされることもあっただろう。

鈴鹿関が置かれていた関宿は、坂下宿から少し亀山市街へ向かったところ。旧東海道の町並みをとどめている、いい雰囲気の町がある。

 

1000年を越える、交通遺産の道だった

 

さて、鈴鹿峠の話に戻る。
明治時代になり、明治23年(1890)に現在のJR関西本線である関西鉄道が開通すると、人の往来は少し南の加太峠に移る。坂下宿は江戸時代の洪水により少し麓へ移動したところへ再興されていたが、この往来減が決定打となり、宿場は役割を終えた。通行料が減り、宿場もなくなったことでこのまま幹線道路としての役割も終えるのかと思われたが、34年後の大正13年(1924)に鈴鹿トンネルが開通し、昭和7年(1932)に峠越えのバス路線が誕生したことで、再び往来は復活する。
その後、戦後しばらくは鈴鹿〜四日市方面の工業地帯の発達に伴い通行量が激増、沿道にはドライバー向けの様々な店が並んだ。
昭和40年(1965)以降の名神高速開通、名阪国道開通により交通量が減ってはいくが、それでも昭和53年(1978)に鈴鹿峠がバイパス化するなど、重要幹線道路であることは変わりなく、一定の通行量は保てていたようだ。

ところが平成20年(2008)に新名神高速道路が開通したことにより、通行量はまた激減。現在に至っている。官道となって以来1000年以上、鈴鹿峠は道としての栄枯盛衰を刻んできたのだった。

ちなみに沿道の店々は減っていったが、それでも飲食店がいくつか残っていて、これら「ドライバー飯処」的飲食店への寄り道は、ちょっとした旅の楽しみである。

 

 

歩いて峠を越えてみる

 

道の駅で入手したパンフレットによると、坂下宿から鈴鹿峠まで歩いていけるようだ。より麓にある関宿からも歩くコースが提案されているが、坂下宿からであれば峠までの標高差もあまりなく、歩きやすい。
というわけで、坂下宿だった町にある鈴鹿馬子唄会館に車を停め、歩いてみた。

かすかに面影を感じられる町並みを歩くこと30分、法安寺に着く。ここには本陣のひとつ・松屋の門の一部が移築されている。
脇道を少し歩いて振り返ると、足元には瓦屋根の町並み。交通音もほぼなく、のどかな景色が広がる。

観音霊場として信仰されている岩屋観音、先に小さな滝、そこからさらに、舗装された道を上がっていくと、片山神社。
もともとの坂下宿は、このあたりだったようだ。
式内社である片山神社は、鈴鹿峠を越える旅人にとって、特別な存在だった。鈴鹿明神、鈴鹿権現とも呼ばれた同社は別の地に鎮座していたものが現在の地に遷された。理由と元の場所には諸説あるが、盗賊に悩まされていた鈴鹿峠超えをする旅人にとっての、守り神のような存在だったのだろう。
山城を思わせる要塞然とした佇まいに、気が引き締まる思いだった。

片山神社から先は、木漏れ日の道を往く。石畳が少々滑りやすいが、心地の良い時間を歩く。その先は急な上りとなるが、燈籠坂、森に埋もれかけた石積みの土台が残る峠の茶屋跡、そして・・・と数分歩くと、鈴鹿峠頂上の案内板に到達した。

周りは杉林。森の空気をたっぷり吸い、土山側へは向かわず、引き返すこととした。

数歩だけ、峠は越えた。

あとで知ったことだが、坂下宿には長い歴史の中で多くの著名人が訪れている。葛飾北斎、シーボルト、江戸川乱歩に坂口安吾。何に惹かれて足を向けたのか不明だが、それぞれがここでの「何か」を社会に伝えている。
旅先で出会ったものは、身近であれ、不特定の人であれ、自分以外のどこかへ発信したくなるものなのだ。

このWEBサイトもまた然り、である。

 

鈴鹿峠

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