日常のとなり。

寝台特急に夢と乗る。

始まる前に旅を感じる。

 

最終の大阪環状線で、大阪駅へ着く。唯一空いているコンビニへ寄り、夜食を少しばかりと缶ビールを買い、そそくさと目指すホームの階段へ。
この瞬間はいつも、ストーリはまるで違うのだが、日本で1987年(昭和62)に公開された名画「スタンド・バイ・ミー」を思い出す。
ゴーディ、クリス、テディ、バーンという4少年が親に嘘をつき冒険に出る直前の、あの高揚感や緊張感、少しばかりの不安。そんなものに似た感覚を、大阪駅11番線へと向かう階段で。

ホームに着くと、今度は違うシーンになる。寅次郎が柴又駅で電車を待つ姿。

そうか、旅に出るのだ。寝台特急は、いつだってワクワクするもの。
実際は出張に向かうだけだったりするのだが、列車の到着を待つ間の数十分間だけでも、旅情は否応なしに、心に波を起こす。数多の物語の主人公の中から、今日は誰になってみようか、なんて想像し、妄想し、夢想する。ホームについて早々に。

 

個室は、自分だけの舞台。

 

サンライズ出雲が来た。いつものようにB寝台シングルへ。

何もわからない頃は上下に別れた個室の下の段を予約し、朝方に人々の足元を眺めると優越感なんて覚えるのかしら、と期待したものだが、実際は出勤や通学であろう人々の目線が恥ずかしくてカーテンも開けられず、結果、次回からは上の席を予約することにしている。

この客室は個室だ。が、ベッドから足を下ろすとすぐ、扉。室内に入るとまず荷物を置き、ハンガーに上着を掛け、コンビニの袋からビールとつまみを取り出しカウンターへ並べ、ベッドの上で胡座をかく。自由に動ける広さがあるわけではないのだけれど、このちょっと狭い感じが「お籠もり」気分を盛り上げてくれる。

ここからは、独り舞台。

関東方面から出雲大社へ旅するのに、この寝台特急は最適なようだ。以前テレビで女子旅向け列車と紹介されていたが、確かに、年齢にバラツキはあるものの女性客が多い。
洗面所へ向かうのか、有料のシャワーを利用するためか、ヒソヒソと話しながら通り過ぎる人の気配を扉越しに感じながら、ふと、かつてのブルートレインを思い出す。

まだ現役で走っていたはやぶさのB寝台では、通路の跳ね上げシートに座ってワンカップ片手に話にあれやこれやと話すおじさん達の声をカーテン越しに聞きながら、2段ベッドにごろ寝していた。本を読むにもおじさんたちの話の方が面白くて、集中できない。結局寝付けないフリをしながら、いつの間にか話の輪に入っていたっけ。
それと比べるとサンライズ出雲の個室は、人の気配が遠のいた。が、その分、籠もる感じが楽しめるので、よし。
こんな時でないとページをめくることなく自宅の棚に置き去りにしている本を一冊だけ持ち、大抵が旅の先人のエッセイだったりするのだが、これがいい具合に妄想の導入薬となってくれると毎回感じている。

個室は銀河鉄道となり、海底へ向かう潜水艦の中、飛行船、あらゆる乗り物へと姿を変え、闇の中へ。

 

誰かの暮らしにお邪魔する朝

 

気がつけば、窓の外がうっすら明るくなってきている。

東京に近付くにつれて、駅のホームにぽつり、ぽつりと人影が見え始めた。その人達の今日一日は、まだ薄闇の時間から始まり、やがて人の波が待つ場所へと向かっていくのか。寝台特急で迎える朝は、車窓に人の暮らしがちらり見える。実も知らぬ誰かの暮らしに、すーっとお邪魔していくかのように、列車は走ってゆく。

自分の生活圏外へ足を向けることは、つまりその地の誰か彼かの暮らしに紛れていくこと、それが旅の始まりなのかもしれない。交わることはないが、併走したり少し先に眺めたりしながら、誰かの生活のエリアを通り過ぎてゆくようなもの。通るごとに人が増えたていく駅をいくつも通り過ぎながら、思う。

7時少し過ぎた頃、列車はすでに慌ただしい東京駅へ。ドアから出て行くのは、日常へ戻っていく足、誰かの暮らしにお邪魔する足。旅も日常も、いつもどこかで交錯しているのだ。

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