日常のとなり。

高山の里。細道をぽたぽた、歩く旅。

山あいの村に、聖地があると?

縁あって、ピルグリム・ツーリズムに参加した。
場所は大阪府北部の豊能町、高山という地区。
ピルグリム・ツーリズムとは聖地巡礼を指し、観光旅行はそのルーツが聖地を訪ねるための旅にある。
訪れた高山地区は周囲を山に囲まれた盆地状の農村で、石積みの棚田が印象的。
こんな小さな農村で何が聖地なのかと思うが、高山は高山右近に通ずる。
利休七哲のひとりであり、キリシタン大名であり、己の信念を貫き通し最終的には伴天連追放令によって国外追放となり、フィリピンで生涯を閉じた高山右近。
その生まれ故郷がこの山村なのだった。

山に囲まれた地区とはいえ、大阪市内から車で1時間も要しない場所にある。が、アクセスが不便なためか、そんなに存在は知られていないとガイドのおじいさんは言っていた。
だからか、村外の人はほぼ見かけず、時がゆっくり流れている。

ピルグリム・ツーリズムも、名前こそなんだかかっこいいが、地区の中心にある廃校に集合し、シニアボランティアガイドと散歩気分で地区の各所を巡る、なんともほのぼのとしたものだった。

 

巡る聖地で、里人の愛に触れる。

歩き始めてほどなく。

「高山右近生誕之地」碑のある場所へ案内される。右近の生涯は道すがらの話で少しずつわかってきたが、ここに来て、ある事実に驚いた。
右近の高山家はなぜ高山なのか。
碑の前で、振り返ると山がある。そう、目の前に高い山があったから、高山と名乗ったそうだ。そんな・・・。
家名が途切れぬよう大切に守っていくことは、戦国時代前の右近生誕時でさえすでに当たり前だったのだと思われるのだが、出発点が向かいの山だったなんて。

とてものどかな山里、もしかすると里の風景からいただいた氏だからこそ、大切にできたのだろうか。

ガイドとぽてぽて、歩き続ける。道の横は田畑。高山の里は、概ね100年以上前から府内で栽培されてきた大阪独自の品種である「なにわの伝統野菜」のうち、高山真菜、高山牛蒡が採れる場所。
ついでに。里に民家はぽつりぽつりと点在しているが、その数は高山右近が生まれた頃からそんなに変わっていないとガイドが教えてくれた。
「その頃のまま、とも言えますねぇ」
昔も今も、高山家によって里は成り立っているのか。それを変わらず、里の人達が守り次代へつなごうとしている。そんな心が里人にある。

ツアーは終盤になり、棚田へ向かう。
開墾可能な土地を丁寧に開き、棚田を築き、山頂からの清水で米を育ててきた。が、ここにも時代の波。おぉ、と小さく声が出るほど美しいと感じるこの棚田も、すでに数枚は休耕田となっている。地域のNPOがそれを舞台にワークショップなどを開催していると聞くが、耕さない田は、寂しかろうに。
棚田のへりに腰掛けると、高山の里が一望できる。
何も変わらない。が、変わらないまま知られないまま寂れゆくまま、というもの悲しさを、歯がゆくも感じるのだった。

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