山深い町。不自然に開けた土地。
縁あって雲南市と奥出雲町を訪ねた。
このあたりはスサノオノミコトが八岐大蛇を退治したと伝わる伝説の地。彼の神様が降り立った船通山、そこから宍道湖と中海を経て日本海へとつながる斐伊川。
山々の間を縫うように走る道沿いには、いたるところに神話の足跡や、それらに言及した看板などがある。
平日の訪問だからか、すれ違う車はほぼなく、信号も少ない川沿いの道は、山々の緑が目に入るばかりでなんとも心地よい。鉄道ファンに愛される木次線に沿って、山深くに進む。
そうそう、この地域は「たたら製鉄」が古くから栄えた地でもある。
日本に製鉄が伝わったのは6世紀頃とされ、その頃に中国地方でも製鉄が始まった。雲南市と奥出雲町のある出雲地方は室町時代になると全国的な鉄製産地として知られるようになった。
たたら製鉄、そのための「鉄穴流し(かんなながし)」の技法。
たたら製鉄の技は、令和の現在も1社が伝統を今に伝えている。「鉄穴流し」によって拓かれた土地は、たたら製鉄の隆盛が終わりを迎えると棚田となり、そこから、全国的に知られる「仁多米」が生まれた。鉄を運び、この棚田を耕してきた牛からは、品種改良により奥出雲和牛も誕生している。
スサノオによる八岐大蛇退治の伝説は、たたら製鉄を巡る鉄師など製鉄の集団と大和との抗争と捉える説もあり、この地に伝わった製鉄により、神話も産物も、風景も、いまにつながっている。
人々を困らせたのは大蛇か川か。
古事記と日本書記では少々言及が異なるが、神話によると、高天原を追放されたスサノオは、現在の斐伊川上流(船通山)に降り立ったとされる。
スサノオは川上から箸が流れてきたことで上流に人がいると考え、川をさかのぼる。そこで泣いている老夫婦に出会い、八岐大蛇の話を聞き・・・、というのが、八岐大蛇退治のくだり。
船通山に始まり日本海へと流れる現在の斐伊川は、奥出雲町、雲南市を蛇のように走っている。
この川は古くからたびたび洪水を起こし、流域の住民を苦しめていたという。まさに、大暴れして人々を苦しめる大蛇のよう。
その川の治水事業を伝説に置き換えた、とか。。。
神話の時代よりもずっと後のものではあるが、『出雲国風土記』に“漆仁の湯”と呼ばれる川辺の薬湯が紹介されている。これが現在の奥出雲湯村温泉のことで、出雲国風土記は天平5年(733)に完成したものなので、1300年も前から、ここに温泉があり、老若男女で賑わっていたのだ。
川の名は斐伊川。湯は、奥出雲湯村温泉とも出雲湯村温泉とも呼ばれている。
時が止まっているかのような、「漆仁乃湯」
斐伊川の川底から湧いているアルカリ性単純泉の湯が楽しめる奥出雲湯村温泉は、川を挟んだ2軒の旅館と、1か所の共同浴場がある。江戸時代頃にはすでに湯治場として栄えており、明治時代の温泉番付には西の前頭に選ばれていたこともあり全国的な知名度を誇ったが、現在は静かな山里の湯治場である。
共同浴場「漆仁乃湯」は、かつての風情を今に伝える旅館「湯乃上館」が管理している。川を見下ろす場所にあり、内湯、露天風呂、家族風呂、足湯があり、すべて源泉かけ流し。
川の音、通り抜ける風の心地よさはこの上ない。平日の訪問だったため、人の声や車の音もない。極上の湯浴み時間である。
築100年を超える建物の存在感がこの場の時間を止めているかのような湯乃上館は、1日2組のみ。細道を挟んで漆仁乃湯があるため、湯治目的で投宿する人も多いようだ。
あぁ、時間が許す限りだらだらと湯にもてあそばれていたい。