おはぎにつられて、丼を頼む。
京都・東山の松原通を東へ歩き、やや上りとなった先、東大路通の手前右手に、力餅食堂がある。
兵庫県豊岡市の饅頭屋が京都寺町六角に移ったものの、鳴かず飛ばずだったために餅屋となった「名物力餅」が力餅食堂の原点。同店はその数年後には食堂としての歩みを始め、大正時代には関西の京阪神地域を中心に180店舗近くにまで勢力を拡大したという。
勢力拡大に際して同店がとったのは暖簾分け制度。つまり各々が独立店舗なのであった。とはいえ、「名物力餅」の代名詞となっていたであろう、おはぎや赤飯は、ほとんどの店で出された。
うどんか、丼か。その中でも何を選ぶのか。
松原通の力餅食堂も、正式には力餅食堂 加藤商店という。女将さんに聞くと、ここもやはり大将がほかの力餅食堂で修業し、独立した。
店頭のガラス棚には、大きめの餅やおはぎ。
が、ここの名物はおいなりさん。昼すぎにはほぼ毎日売り切れになるため、ありつけないことも多い。
ただし、売り切れていようとも心は折れない。ここの真骨頂は恐らく丼だからだ。うどんのバリエーションが多いのだが、その合間にきつね、親子、木の葉、きぬがさ、天なん…。つまり丼の一族がいる。
ふと目をやると、壁の赤札の列に「牛すじ卵とじ丼」の文字。心は決まった。
やや反った机に頬杖つきながら待つこと数分、奥の小窓が「あいよ」という声とともに開く。
奥の小窓というのは店内と厨房とをつなぐ門のような存在で、厨房という聖域を守る結界でもある。
コリッとすると思っていたのに。
鮮やかな黄色のうぶ衣をまとった牛すじ肉と粗刻みネギ。シンプルだ。食感も味も、想像に難くない。立ち上る湯気にだしが香るのが、京都っぽくもある。
ところが、だ。口に運び、ひと口噛んだ瞬間に「!」となった。
牛すじ肉がほろりととけたのだ。
すじ肉のあの、ちょっぴりコリッとした食感を想像していただけに、不意を突かれ箸が止まった。
嬉しい誤算と言うべきか、すき焼きの牛肉のような、味わいが深い、そして柔らかいすじ肉。1割程度生っぽさを残した卵がそのすじ肉とご飯をつないでいて、一気に食べ終えてしまった。
再訪の際は、やきめしにも手を伸ばしたい。テイクアウトでおいなりを頼み、相応の場所で頬張ることも考えておこう。
力餅食堂 加藤商店
京都府京都市東山区清水5丁目120
2020年9月
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