寺と神社とまちと人。

神秘、篠栗四国八十八ヶ所霊場<4>会いにいく道

お大師さまに会いに。

 

篠栗四国八十八ヶ所霊場のある篠栗町へと入り、どこへ向かって歩こうかと考え、 進路を弘法大師が修行したと伝わる滝のある、若杉山方面へ取った。
市街地を抜け、少しずつ道は上りへ。途中途中に札所があり、寺院の境内にあるもの、道路脇にお堂だけがあるもの、それぞれ違う姿に「へー」などと思いながら、掌を合わせて次へと向かう。
道はやがて、森の中へ。

遍路道を歩き進んでいると時折、弘法大師の石像に遭う。もちろんそれぞれに掌を合わせ通り過ぎるのだが、事後、ちょっとした違和感を感じた。そんなことを何度か繰り返して、はたと気づく。若いのだ。何がって、弘法大師のお姿が。
弘法大師の石像の多くは笠をかぶり、白杖を突き、左手の上に宝珠を乗せていたり、いなかったり。修行大師と呼ばれるお姿だが、四国の遍路道で遭ったお姿、その他の真言宗寺院で見かけた表情はどれも、修行中と言えど威厳を感じさせるものであった。ところが。
篠栗四国八十八ヶ所霊場のお大師さまの表情は、頬のラインが柔らかく、目がクリッとしている(気がした)。そして、笑顔ではないが、人なつっこそうだった。
まるで、初見の参拝者の心を解きほぐしてくれる、札場で会う町の人のように。

 

僧侶と共に、遍路する。

篠栗四国八十八ヶ所霊場を何度か訪れていると、遍路姿の人と僧侶が共に歩いている姿を見かけた。調べてみると、篠栗町観光協会の主催で、僧侶が案内する遍路入門という日帰りのツアーがある。

確かに、思い立って遍路道を歩き、札所を巡ってはいたが、例えば寺院ではご本尊が坐す本堂と大師堂があり、どちらを先に参るのかなど、参拝の作法や順序は、完全に自己流だ。せっかく参るなら、きちんとした作法も身につけておかねば、とも思う。その時に僧侶が先達してくれると、かなり力になるのではないだろうか。
それに、寺院はその町の歴史とともに歩んできているところが多く、ゆえにたまには、僧侶から豆知識的な話が聞けるかも、というのも興味深い。再訪は、入門編の日程を調べてから、というのがよさそうだ。
昼食付きという点も、そそられるポイントである。

それはそうと、この霊場は寺院の佇まいが、実は一番の見応え、思い出となった。
若杉山の裾に立つ寺院は境内がそもそも傾斜地にあり、あたかも遍路道が掲題を通っているかのように、本堂から大師堂、滝、など参拝して回るのだ。本堂前に樹木のトンネルがある立派な参道を有する寺院もあり、苔むした石段の先にさまざまなお顔の地蔵が並ぶところあり、とにかく巡るのが楽しい。たかが寺院、されど寺院。
様相が違えば感じられることも異なってくるわけで、祈る気持ちとともに、道を往く己の足音に、向き合っているのは実は自分であったのか、と知らされるのであった。

 

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