書や言葉との偶然の出合いは、1000年続く
図書館や書店で偶然目に留まった書物、そこにある言葉によって心震わせられることがある。友人宅や喫茶店の書棚、新聞やインターネットで見かける書評など、とにかく、書物に遭遇することは多いものだ。旅に出た先の訪問地でも、もちろんある。
もしかしたら、意中の本に真っ直ぐ向かうよりも、思いも寄らない方角から目に飛び込んできた書物やそこにある言葉の方が、出合いの確率は高いかも知れないと思うほど。
私たちは自分の経験で補えない知識や情報、考えを、長い年月の間に多くの人がしたためてきた膨大な書物から、自身の心に注ぎ込んで生きている。そして、注ぎ込みたい欲求は消えることがない。
そんな営みは1000年以上も前からこの国にあったようで、奈良時代の公卿・文人である石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)は、自身の旧邸宅を寺へと改装した際、敷地の一角に書庫を設け、自身が収集した漢籍を中心とする書物を希望者に閲覧させた。開館したのは天平宝字6年(762)のこと。
続日本紀に「芸亭院(うんていいん)」と記載のある芸亭は、日本最古の公開図書館とされているが、公開したのは個人が収集したものであり、図書館と言うよりはやはり、書庫だろう。芸亭には平城京を行き来する青年達が訪れ、書から学びを得ていたようだ。
その姿に宅嗣はいたく感心している。
江戸後期に絵師の菊池容斎がまとめた「前賢故実(ぜんけんこじつ)」には石上宅嗣の言及もあり、その人物像を『生まれつき悟りが早く、容姿が立派で、学問を好んでいた。経典や史書を博覧し、文章が上手で、草書と隷書にすぐれていた。〜中略〜 風流を好み山水を愛する性格で、気持ちがたかぶると、いつも筆を取り文章を書いていた』と記す。
現代よりもはるかに情報が乏しく、学ぶ機会を得ることも貴重だった時代のこと、都で知られる知識人が開いた書庫を訪れた人々は、書物やたくさんの言葉と、思いも寄らぬ出合いをし、感情を昂ぶらせたことだろう。
仏教やそこを出発点とする、大海原のような知の場所
さて、現代。山すその集落にある寺の隣に、副住職が書庫を開いたと聞き、大阪府の北端・池田市へ足を運んだ(厳密には車で)。
寺の門前は狭い道のため、車は奥まで行けない。少し下った場所に設けられた寺の駐車場へ車を駐め、徒歩で向かう。1分も歩けば、目の前に浄土真宗本願寺派 八幡山如来寺の山門と、小径を挟んで「ふるえる書庫」。
如来寺は360年超、人々の寺として地域に篤く信奉されてきたところだ。現在の住職は19世。
書庫にギュッと詰まった数々の書物(漫画もある)は現住職が収集したものとのこと。このまま書物が増えゆけば、いつか庫裡の床が抜ける! と副住職が書庫の開設を思い立った2022年時点で、ざっと三万冊あった。現在はもっと増えているに違いないが、ともあれ受け継ぐ人のいなくなったご門徒の自宅を引き取り(購入)、改装した「ふるえる書庫」に住職の蔵書を移したことで、めでたく庫裡も危機を脱した。
副住職に案内してもらった書庫はというと、縁側然としたスペースがあり、民家の梁や柱がそのまま残り、人が暮らしていたときの土間がメインの書架になっている。家の記憶が形を変えて続いている場だからか、コンクリート製や意匠に凝った近年の図書館などと比べ、“ゆるり”とした存在感が心地よい。
書庫の内と外とをつなぐ縁側的なスペースに腰掛けると、目の前にオリーブの夫婦木が揺れ、その足元には小さな花が咲く。微かな音が風に乗って流れる場所で、家々が肩寄せ合う集落を眺めているのが、なんだか非日常感で、嬉しくもある。
書庫に並ぶのは宗教関連、哲学、アートなど。
タイトルに惹かれて手に取った本を、この場所でペラペラめくるひとときをわざわざ持ちにくるのは、なかなか優雅な時間だろう。
ところで、「ふるえる書庫」は毎日開いてはいない。
SNSで、当月の開館日が告知される。これはこれで、「いつでも行ける」が「この日に行こう」となるので、旅に出る気持ちは膨らむ。また、書庫の店番は副住職がいつも務めているわけでもない。「ふるえる書庫」は新たなコミュニケーションの実験場のようなものだと感じたのだが、メンバーシップを設けており、メンバーになると店番ができる。
なんならメンバーとなり、月に一度、店番を体験する1日も面白い。失礼かもしれないが、場所柄、開館日に大勢の人が訪れることはそんなにないだろう。それゆえ、店番=気になる本を片っ端からめくり続けられる日、となるわけだから。
書物は旅の供、ではなく旅の動機なのかもしれない。
縁側から重い腰を上げ、書庫内の書棚を眺めながら、ふと考えた。
一人旅に書物を供として携えることはよくある。なんなら、旅先での思わぬ出合いなどがあり、書物を一度開かぬまま持ち帰ることも多い。開かなくてもずっと一緒にいるのだから「お供」には違いない。
が、書物で出合った言葉に触発されて旅に出ることもある。ならば行く先での書物との出合いに期待しながら旅に出ることも、ありだ。触発される、訪問先で手に取る、どちらも旅の動機である。そして、事後に何かしらを得ている点も、共通項か。
「ふるえる書庫」の場合、訪れるたびに店番が違う人である確率も高いので、書物だけでなく、店番との話なんかも、足を向ける速度を速めてくれるきっかけになるのかもしれない。
お気に入りの書庫(図書館)を心に持ち、年に一度やそれに近しいタイミングで訪れ、インプットに勤しんだり偶然を期待して書棚を巡る。そんな旅は、冒険心をぶるっとくすぐる。