寺と神社とまちと人。

お不動さんに惹かれ、滝風に吹かれ。

ここにもあそこにも、不動明王。

 

篠栗四国八十八ヶ所霊場へ向かったのはほんの半年前のこと。いくつかの札所寺院を訪ね歩いた。その時に気づいたのは、篠栗の霊場には、とにかく「お不動さん」が多い、ということ。
不動明王は、真言密教において最高位とされる大日如来の化身とされている。だから真言宗寺院に不動明王が祀られていても何ら不思議ではないのだけれど、それにしても、多い。
10か寺ほど訪ねれば、目にした不動明王像は100体を超える。ご本尊だけでなく、境内あちらこちらに、さまざまなお姿の不動明王像が立っている。まるで道案内のように。

いくつかの寺で、それら不動明王像の来歴を聞いたが、ほとんどのお寺が、すべてご参拝の方が寄進されたものだ、と答えた。

真言宗の霊場と言えば四国八十八ヶ所霊場ということになるが、彼の地を歩いても、ここまで不動明王像を見ることはないだろう。そんなことを強く感じて以来、頭の中に不動明王と、篠栗の札所寺院への道が、ずっとこびりついていた。
そして、再訪することとなった。

前回は博多駅からレンタカーで向かったが、今回は電車を使う。にしても近い。
20分もしないうちに、篠栗駅に着いた。遍路姿のマネキン人形にぎょっとしながら駅舎を出る。

そういえば、新幹線が博多駅に到着する数分前のアナウンスで、篠栗という地名を聞いた。JRで博多駅から篠栗へ向かうには、通称福北ゆたか線で向かう。電車は直方行きだ。
直方市は令和3年度の統計によると人口約56,000人。かつて炭鉱で栄え、筑豊三都のひとつである。対して篠栗町は令和4年3月現在で人口約31,000人。篠栗町から東へ山を越えると飯塚市になり、こちらは令和4年3月現在で人口約125,000人。
忖度なく考えれば、飯塚・直方方面へ〜というアナウンスになりそうなものだが、聞こえたのは篠栗方面へ、だった。
しかし、JR九州に入社したての社員が篠栗町へ来て、町の人に「時折篠栗駅で大勢の人が下りられますが、何があるとですか?」と訪ねたという話があるように、そこに江戸時代後期に整備された新四国八十八ヶ所霊場があることは、県内でももはや一般的ではなくなっている。

 

 

気がつけば、不動明王を探している。

 

さて、不動明王に戻る。

寺院ではない札所、お滝場札所、山の道。右手に持った剣を振りかざしている尊像もあれば、立てていたり、地面に突いているものもある。テレビで見かける著名人に似ているもの、天地限ではなく正面を向いているもの…。実に多様なお姿の不動明王像が、この篠栗町にはある。特にお滝場にある不動明王像は、なんとなく威風堂々っぷりが強い気がした。

お滝場の御堂を守る坊守のおばあちゃんは、「いつでもどこでも、お不動さまに見守られとるということは、幸せなことじゃろぉ」と微笑む。

総本寺南蔵院、金剛の滝観音堂、二の滝寺、三角寺、若杉山養老ヶ滝 明王院、それら道中の諸堂を訪ね歩く。で、気づく。先述のお滝場のように、滝のあるところ不動明王像あり、だ。
古来、不動明王を水神として滝のあるところに祀った、経典に不動明王と河水についての言及があるから、などなど、滝と不動明王像のセットには諸説あり、真偽の程はわからないが、一念をもって滝に打たれるときの強い祈りの心と、必ず人を救ってくださる不動明王への祈りが合致したのか、そうでないのか。
かのおばあちゃんは還暦を迎えた年に一年間、滝行をしたという。不動明王に見守られながら、幸せを感じたに違いない。

篠栗四国八十八ヶ所霊場に惹かれて再訪したこの町。札所を訪ね歩きながらいつしか、道中に、札所寺院のどこかに、不動明王像を探している。それはまるで、幸せ探しの旅のよう。
不動明王は慈悲であふれている、そのお姿を見ることは、安寧につながる。

山道歩きの1日は、ほんの少し、心に清浄をもたらす。その清々しさが、篠栗に惹きつけられる所以なのかも。

関連記事

この記事へのコメントはありません。