寺と神社とまちと人。

神秘、篠栗四国八十八ヶ所霊場<3>森がつながっていた

どこへ向かっても、森がある。

 

さて。

地図を片手に遍路道へ入る。篠栗四国八十八ヶ所霊場はざっくり3つのエリアに別れていると前の記事で書いたが、1番札所南蔵院、呑山、若杉山、どの方向へ向かっても、必ず森へ入る。
篠栗町は、森の町でもあるのだ。

そして3方向、森の香がなんとなく異なるようにも感じる。
鳴淵ダムの奥に進んでいく呑山は高原近くの里を感じさせる爽やかな緑、1番札所南蔵院から奥へ向かうと飯塚市と篠栗町を隔てる山間部の西の裾にあたるため、陽光で香は柔らかい。そして若杉山方面は森が深く、清水や苔の香りも混ざったふくよかさ。
当然ながら歩く心地も異なってくる。

そういえば篠栗町は、森林セラピー基地に認定されている地域でもあるのだった。福岡都市圏に含まれる町だとはいえ、エリアの半分以上を森林が占めているのだから、森林は町の大切な資源だ。資源といっても単に林業というわけではなく、2009年に森林セラピー基地の認定を受け、ウォーキングロードの作成などを行ってきた。現在ウォーキングロードは6本あるが、うち4本は若杉山方面、1本が呑山方面へ走っている。
そう、篠栗町で森林セラピーロードを歩くことは、篠栗四国八十八ヶ所霊場を巡ることと近しいのである。

 

聖域は、森もなんだか強い。

霊場を巡ることと森林セラピーが重なっている篠栗町だが、そういえばこのセット、どこかで聞いたことがある。

篠栗四国八十八ヶ所霊場は弘法大師空海の足跡に端を発する霊場だが、その弘法大師空海が坐す高野山も、奧之院を中心に高野山千年の森という森林セラピー認定基地なのだった。どおりで、若杉山の奥を歩いている身体を包む香りは奧之院の参道で感じるそれのようでもあり、呑山方面や1番札所南蔵院方面は、九度山から奧之院まで続く町石道を歩いた記憶を呼び起こす。

共通しているのは、歩き進めるごとに、自分がちっぽけな存在に感じられてくること。もちろん個人差がある話だが。
そして、歩き終えたら疲労感たっぷりのはずなのに、どういうわけだか、元気になっている気もする。

森の力か、霊場のありがたさか。

森の香り成分であるフィトンチッドを取り込むこと、森林浴のリラックス効果、副交感神経活動が昂進すること、そこに札所を巡る心持ちが合わされば、どうだろう? 身体が隅々まで清められたような気がする。で、元気になっていくのかもしれない。

そうそう、若杉山方面で、63番札所天狗岩山吉祥寺から奥へと歩いていたときのこと。この道はセラピーロードでもあるようだが、杉木立の一本に、輪を見た。杉の枝が伸びながら湾曲していき、もとの樹にくっついた、ような。
見事な輪だった。立ち止まって見つめると、それは阿字観堂の掛け軸にあった月のようでもあった。ここで呼吸を整えよ、とでも諭されているようで、しばし、樹木のように直立するのだった。

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