寺と神社とまちと人。

やり直せる。は神様も同じ。

ふたつの再起、やり直し。

 

2022年の年の瀬である現在、日本だけでなく世界中いろいろな場所で、いろいろな人が「再び起き上がる」ために生きている。取り戻す、やり直す、そうして、明日へ向かおう。
未来へ希望を抱きたいのだ。

そんなことへ思いを馳せているとき、ふと、以前伺った姫嶋神社のことを思い出した。ここは通称「やり直し神社」とも呼ばれている。

御祭神は阿迦留姫命(阿加流比売神)。古事記と日本書記では言及が異なるが、大まかに書くと、その昔、新羅の国に嫁いだ阿迦留姫命だったが、夫の天之日矛の言動が我慢ならず、日本へ戻ってきた、という流れ。難波津へ辿りついた阿迦留姫命はその後、機織りや裁縫などを女性たちに教えて暮らし、その言い伝えから「決断と行動の神様」として信仰されている。

阿迦留姫命を祀る姫嶋神社は、創建年代は不明ながら、江戸時代以前から現在の地で産土神として阿迦留姫命をお祀りしてきた。ここは姫島という地名で、かつては摂津国比売島であったという。
太平洋戦争の空襲によって姫島は町が被害を受け、当社も戦火により宝物や貴重な文献がすべて焼失してしまった。戦後、その「何もない」ところから再起し、現在に至っている。

そう、御祭神も神社も、ともに、やり直してきたのだ。

 

 

海のない地に積み重なる帆立貝。

 

当社の境内には、帆立貝が積み重なった現代アートのようなものが数本、境内に立っている。この帆立貝は、当社の絵馬だ。以前権禰宜に聞いたところでは、帆立は文字通り帆を立てて進む船のよう。これを、船で日本へやってきた阿迦留姫命と捉えている。
積み重なった帆立貝は、やり直したい、再び起き上がりたい、多くの人々のそんな思いが記された、再起願いの証。

拝殿には、虹色の小さな風車がいくつも取り付けられた台がある。台の手前には団扇。ここでは自ら起こした風を、阿迦留姫命に供える。ご参拝は、良き風を送り、良き風を待つのか、風を起こしに動くのか、自問する時間。

 

個人的には、神社へは御礼を言いに向かうのだが、当社へ参詣する場合は、阿迦留姫命の神前で自らの再起を願いながら有言し、実行した御礼をまた報告に来る、という流れが良さそうだ。
つまりここは、自らの意を決する場所。

願いとは、希望とは、誰かに託すようで、託しに行く行為がすでに再起の一歩である。阿迦留姫命の前ではそんなシンプルな事実に気づかされる。

 

姫嶋神社
大阪市西淀川区姫島4-14-2

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