日常のとなり。

見守りいただくために、守る美しさ。

猿田彦神に、この国ではよく出会う。

田が並ぶ地域を歩いていると、掃除の行き届いた道祖神を見かけることがある。
のっぺらぼうの石に注連縄が飾られていることもあれば、猿田彦大神または猿田彦神と刻まれていることも。

猿田彦とは記紀で最も有名な神のひとりで、瓊瓊杵尊が天孫降臨の際に葦原中国までの道を照らし、尊たちを先導したことから「導きの神」とも呼ばれ、国津神でありながら皇統の起源にも関わるという、不思議な神。

国津神の「太陽神」、導きから「道の神」へ、庚申信仰と結びついてまた別の神格をいただき、道祖神にもなり、そのような流れの中で(細かくは割愛しますが)、「農耕の神」として古くから大切にされてきた。
芸能の神ともされるが、これほどまでに多彩な顔を持つ神は、まぁいないのではないだろうか。
ユニークさゆえか、柳田国男も、南方熊楠も、どうやら猿田彦の神格についてひと言持っていたようだ。

時代や場面、解釈によっていろいろな神格を持つというのは、なんだか日本らしいと思う。

 

守っていただいてきたから。

年の瀬、石柱の袂には純白の塩盛り、榊が飾られ、来る新たな年を迎える準備がなされている。

来る年もおいしいお米が実りますように、安全に農業が営めますように。
そのような祈りを込めて、長い間続いてきたのだろう。
訪れた地域では、かつて猿田彦の前に水が湧いており、それを米作りに活用してきた。
井戸はもう涸れているが、昔からの習わしで、田を持つ家々が持ち回りで、猿田彦神の回りを掃除し、榊と塩を供えているという。

「田んぼを神さんがずっと見守ってくれとるから、私らはずっと米が作られるのよ」
と、近所のおじさんは言った。
つまり持ち回りで清浄を保つのは、感謝の心が出発点である。
近年はやってあげたことに対して返礼を求めることも増えている。
が、それは猿田彦神に対して「きれいにしてあげるから豊作・安全を見守ってください」と祈るようなもので、本末転倒。

私たちは他者への感謝がまずあり、だからこそ米作り、風習、文化が続いてきている。このようなことが、多々あるのではないか。

変化が始まった地球の生き物として、他愛先行の生き方で、次代へも思いを送りたいものだ。

 

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