日常のとなり。

山奥の天神社、人々が守り続ける神様と老婆の心。

みかんの里の山深く、さらさらと落ちる滝の袂に、小さな祠

 

みかんの産地で知られる和歌山県有田川町。町を東西に流れる有田川から北へ延びる県道159号線(海南吉備線)は、記紀に日本における柑橘の発祥の地と記されるもうひとつのみかんの郷、下津へ至る。
みかん山の間を縫うように、細い川に沿って道は山へと向かっていく。集落を抜け、いよいよ樹木が深くなってきたあたりに「町指定文化財 姥ヶ滝」の看板を見つけた。

路肩の空き地に車を駐め、道路沿いの鳥居をくぐり、そこから階段を降りること数分、小さな空き地が出てきた。左手には滝。これが姥ヶ滝か。
滝から流れる水は小川となり、先ほど通ってきた道沿いの川へと育つ。

訪れたのは春の終わり。ウグイスの声が大きい。
緑に覆われた空き地の先に小さな橋が架かっており、奥には小さな祠があった。さらさらと清々しい音を立てて流れ落ちる滝とセットで、ひとつの世界を創りだしている。
ここは天神社。有田川近くにある田殿丹生神社の境外社のひとつ。ご祭神は国常立命とされるが、天神社=菅原道真とも。
そしてこの祠にはもうひとり、老婆の霊が祀られているという。

慶長年間のこと。年貢の徴収のために検地に訪れた役人に、一人の老婆が「奥の田んぼは稲のできが悪い」と訴え、地域は検地を免れた。感謝した村人たちは、老婆に感謝してその霊を祀り、以後滝の名も姥ヶ滝となったと町史にある。

 

 

利他の重要性が増す時代。だから祠を訪ねる。

 

天神社の老婆のように、他人のために尽くした人や徳のあった人物を崇拝の対象として祀ることは日本に限ったことではなく、世界各国にある。
ただ、日本には道祖神、地蔵など、祠が本当に多いと思う。大小さまざまに。先の目的で建てられた祠には政治的な指導者や学問に秀でた人を祀っているパターンを目にすることの方が多い気はするが、老婆のように、地域を助けたことにより祀られる人もいる。
大きく捉えると、それらの根源にあるのは「利他の心」だろう。とすると、歩くたびに必ずと言っていいほど祠を見かけるこの国は、利他に溢れている、とも言えるような。
また、お地蔵さまを祀った祠にいたっては、ニット帽やちゃんちゃんこなどを着ている地蔵を見かけることも多々。笠地蔵の世界はいだまある、と思うのだが、神仏に心を向ける、その思いの暖かさに頬が緩む。

 

 

「疲れたら、ちょっと祠へ」なんて言ってみる。

 

利他の心や大切に守る人々の温かさが集っている、小さな祠。今回訪れた天神社も、往来の少ない山奥にあるとは思えないほど、整っていた。慈しみや感謝や、いろいろな思いが連綿としてきたのだろう。
祠とは、癒しの場でもあるのだ。
ちょっと日々に疲れたら、祠を訪ねてみるといい。お参りし、そこがどのように保たれているか考えながらのぞき込んでみると、なんだか気持ちが軽くなる。

 

天神社
和歌山県有田郡有田川町田 角

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