日常のとなり。

旭川、山と川。

あれは大雪山ですか? ええ旭岳です。

 

大寒の日、北海道旭川に降り立った。外気温はマイナス17°。
濡れティッシュを振り回すと、5秒ほどで凍った。
ホテルの窓から眺める旭川のまちは、曇天だからか、夕暮れの時間なのに蒼白い。町並の先に真白な山が見える。大雪山なのだろう。

思い返せば24年前、夏から秋にかけて道東にいた。
住み込みで働かせていただいていた土産物店のおばちゃんがこの先もバイクで旅を続ける自分に
「大雪に初雪が降ったというニュースが流れたら、北海道を早く離れるんだよ。すぐに冬になるから」
と教えてくれたことを思い出す。その年の初雪は、9月だったように記憶している。

24年前の旭川は国道39号線を走り抜けただけで、まちに出るのは初めてだ。

待ち合わせていたまちの人に「あれが大雪山ですか?」と訪ねた。
「ええ、旭岳です」と返ってくる。大雪山は、瞬時に消えていた。

 

神々の遊ぶ庭だった。

 

知ったかぶりの極致で、大雪山は勝手にひとつの山だと思っていたのだが、標高2,291mの旭岳を筆頭に、大雪火山群とその南に広がる地を称して大雪山と呼ばれている。ちなみに旭岳は北海道最高峰だ。

1862年(明治2)に蝦夷地を北海道と改称したことから、北海道の開拓がスタートする。旭川で屯田兵による本格的な入植が始まるのは1891年(明治24)からだが、それ以前はもちろん、大雪の山々に和名はない。アイヌの言葉で名が付いている山はあったが、名もなき山もあった。現在のように名が付いたのは、大正時代のことだと聞いた。
アイヌの人々は旭岳のある大雪のあたりをカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と呼び、敬っていた。彼の地は聖域で、神住む地だったのだ。しかし大正時代に和名がついたことで内地に知られる存在となり、自然調査や観光開発が行われるようになっていく。

神々は、その頃にはもう遊ばなくなったのだろうか、遊び方を変えたのだろうか。
ホテルの窓から見えた大雪は人の営みの上にあり、神々はまだ、そこにいるようにも感じられた。

 

神々の山の麓、川のまち。

 

さて。
旭岳のある大雪山国立公園の南東側に石狩岳があり、そこから始まる石狩川が、旭川の市街地を流れている。水量豊かな川が流れるまちは、それだけで穏やかだ。石狩川沿いには自然公園も整備されていて、温かい時期にはさぞ昼寝が心地よいだろうな、などなど考えながら通り過ぎた。
と、少し進むと目の前に別の川。また別の場所へと動くと、また別の川を渡る。
旭川市は市街地に大小合わせて130以上の川が流れており、実は川のまちなのだった。市内を流れるほとんどの川は、どこかで石狩川に合流する。
神々の遊ぶ庭の奥から始まり、神居古潭を過ぎ、やがて石狩湾へ。度重なる治水で姿が変わったとはいえ、石狩川は今もなお、大地を、人を潤しているのだった。

 

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