日常のとなり。

長く続くのは、海の中の道、だけではない。

小さな、小さなこのメディアがスタートし、一年が経過しました。
いつもご覧いただいているみなさん、本当にありがとうございます。
旅は日常の隣、そして人と土地、未来をつなぐものという思いで、これからも少しずつではありますが、旅を重ねてゆきたいと思います。

そんな節目に、少し地元のことを書きたいと思います。

 

 

たくさんの観光客が訪れる長部田海床路。

 

有明海の東と南に接している熊本県。南側には近代の海苔養殖のきっかけをつくった、住吉地区がある。近年はフォトジェニックな「長部田海床路」が有名になり、また某アニメのキャラクター像が設置されたことで、就活には駐車場がいっぱいになるほど、人が訪れるようにもなった。
とてもうれしいこと。と同時に、寂しくもある。

明治時代に始まった熊本県での海苔の生産は、戦後になり、人口採苗による養殖技術が生まれたことによって大きく飛躍した。その技術は全国へ広まり、海苔の養殖が各地で行われるきっかけとなったとも。

人が集まる長部田海床路のある住吉の有明海沿岸は、熊本の海苔養殖の中でも、特に高級海苔の生産地。遠浅の海の沖合に、数え切れないほどの竿が立ち、11月後半になると、網についた海苔を刈り取る専用のカッターを搭載した「潜り船」が、乱立する竿の間を右へ左へ、初摘みの海苔を収穫する。
海苔の生産は11月から翌年の春先まで。現在はほとんどが機械製品化されていくが、戦後しばらくまでは、手漉きも並行していたようだ。
ここ住吉でもかつてはそうだったものの、時代の流れとともに途絶えてしまった。しかし数年前、手漉き海苔を半世紀ぶりに復活。技術の伝承の可能性が生まれた。

 

 

見てほしい風景は、どっちだ?

 

長部田海床路の始点となる駐車場は、海苔養殖の船が行き来する長部田漁港に隣接している。
漁港周辺では、海苔の養殖に使う道具が置かれ、漁協女性部による海苔製品直売所も、小さいながら、ある。初積みを終えたあとのよく晴れた日には、近くで海苔が天日干しされている、恐らく半世紀以前までは当たり前に見られた風景がまた、見られることもあるだろう。
聞いた話では、漁協が青年部を組織し、独自ブランドの海苔も製品化しているそうだ。

しかし。

そのどれも、知るヒントがない。

干潮時には約1㎞の海床路を歩くことができ、右に金峰山、左に雲仙、見上げれば広い空。そんな景色がここにはあり、それそれは、美しいものだ。夕暮れには有明海がオレンジ色に染まり、霞みゆく雲仙の姿の見とれてしまうほど。
そしてここは、海苔生産の「現場」だ。しかしそれだけ、感じることが叶わない。
それどころか、生産車のトラックが海床路を進むと、危ないねぇ、といった声が聞かれることもある。

 

 

現場を感じる。そんな旅であってほしい。

 

私たち日本人は、形は現在とはまるで違うが、縄文時代あたりから海苔を口にしてきた。つまり白米よりも私たちの遠い記憶と結びついている。コンビニに行けばおにぎりのほとんどは海苔で巻かれていて、現代の食生活においても、海苔は多く食されるものである。
が、距離が近すぎるのか、その出自、味のバリエーション、香りの豊かさ、製法による食感の違い、そんなことが日常生活の中で話題にのぼることは少ない。

旅という、日常から少しだけ離れる行為で、偶然にも海苔の生産現場へ来た。もしくは海苔の生産を知り得る機会に遭遇できそうな場所を訪れたのだ。唯一無二の景色とともに、海苔のこともセットで記憶に留められる手段があっても、いいのだが。
海苔食堂でもいい、海苔販売でもいい、手漉き体験ができるならなお嬉しい。訪れた人たちに、海苔と近づいてもらうきっかけというか仕掛けというかチャンスというか、そんなものがほしい。

遠浅の海特有の、塩分濃度の高い風の薫りに、そんな願望を抱いた。

 

長部田海床路
熊本県宇土市住吉町3125-1

 

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