寺と神社とまちと人。

サウナに入りに、お寺へ行く。

ブームが寺にも来た、ということではない。

 

昨今のブームで、サウナの利用人口は恐らく飛躍的に伸びている。全国各地にサウナ施設が誕生しており、容易に持ち運べるテントサウナも人気だ。
「寺サウナ」というフレーズで、敷地内や宿坊にサウナを設置している寺院もある。
だが、お寺がサウナブームにのった、というのは、大きく違う。

奈良時代に聖武天皇の妻・光明皇后発願により建立された法華寺には、床の下に湯の沸いた大釜を入れ、室内で蒸気浴ができる「からふろ」があった。この時代には湯堂や大湯屋を設け、衆生救済の一環として入浴を行う寺院も出てきている。
また、日本の仏教経典のひとつ「大比丘三千威儀経(だいびくさんぜんいぎきょう)」には、病気治療を主とする温室(うんしつ)と、僧侶が体の汚れを取り除き、身を清める浴室のことが記され、そこで紹介されている温室、浴室ともに蒸し風呂である。
ちなみに、国立国会図書館蔵の絵資料のひとつに、西本願寺3世覚如上人の生涯を描いた南北朝時代の伝記絵「慕帰絵々詞(ぼきええことば)」があるが、その巻2には、建物の一角で大釜に湯を沸かして湯気を室内に送る温室が描かれている。

現代で言うサウナは、日本においては寺院が出発点なのである。

 

サウナを境内に設置した、住職の想い。

というわけで寺院にサウナがあることは別段不自然ではない。ただ、寺へ行ってサウナで整って帰るだけでは、何かが違うな、とも感じる。勝手な考えだが、寺や神社という場所は、ひとつ一つのものやことに意味があってほしいのだ。

日本有数の寒いまちで知られる北海道旭川市に、浄土真宗本願寺派 菊枝山慶誠寺(けいじょうじ)がある。明治期の開拓団入植に合わせて明治26年に開基した。現在は第五世石田慶嗣住職だ。
石田住職は第五世を継職したのち、夏の「お寺でナイト」、越年の「幻冬フェスタ」を相次いで始め、令和3年には、貸切テントサウナ施設「慶誠寺サウナ寺ス」も開設した。
「お寺を風景にしたくはなかった」。その心を石田住職はこう話す。

実はかねてよりサウナ好きで、お寺にサウナを設置してはどうだろうと考えを巡らせていた石田住職。文献を調べるうちに先述の慕帰絵々詞にある西本願寺の温室を知り、寺にサウナがあることは必然でもあると感じた。とはいえ、それだけではまだ一歩を踏み出せない。
折しも世の中にテントサウナが登場し、日本各地でサウナがにわかに活況となってきた。そこで境内を舞台に、テントサウナのイベントを開催する。
サウナ室では、自分が住職だと知ると相談ごとを話し始める人がいた。サウナ後に本堂で整って帰る人もいた。「サウナを設置すれば、寺で心を落ち着け、また心に抱えていることを寺に置きにくることもできるのか」。石田住職はこのイベントをきっかけに、テントサウナの設置を決意した。

住職は言う。法要のための広い本堂も大切かもしれない。しかしもっと大切に考えていくべきは、多くの人が特別ではない1日にふと立ち寄り、心を休める場を寺が用意することではないか。集い、使い、人が行き来する場こそ、あるべき寺の姿だ。テントサウナ、イベントは人々に寺を楽しんでもらうためのもの。

現在「慶誠寺サウナ寺ス」のバージョンアップを本気で考えている。誰でもがいつでも集えるように、簡易的なテントサウナではなく、常設の建物にしたいのだ。旭川はサウナのまちとしても、最近注目されるようになってきた。近隣に良きサウナ施設が複数あるだけでなく、旭川駅周辺には、サウナ設備のあるホテルも多い。
サウナのまちの寺サウナ。心をほどく寺サウナ。

 

 

慶誠寺サウナ寺ス常設サウナ計画が動き出しました。
3月末までクラウドファンディングに挑戦しています。
よろしければ下記よりクラウドファンディングページにアクセスしていただき、ぜひ応援してください。
https://camp-fire.jp/projects/view/553113

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