旅の味

その先を見て見ぬ振りする、たこ竹。

世の中でお伊勢さんへのおかげ参りが大流行していた天保二年、大阪の松屋町に「たこ竹」は誕生。
松屋町の商人たちに寿司(といっても稲荷のようなもの)とうどんを出していた。
当時の松屋町は現在のように人形や玩具店ではなく、菓子問屋が並んでおり、全国から商売に訪れた商人がひと休みして腹を膨らませていたのが「たこ竹」。
以来、大阪鮨の古参・名店と呼ばれて久しいが、多店舗展開や百貨店への出店は「味が落ちることにつながるから」と固辞。ずっと松屋町の片隅で営業を続けてきた。

握りもやるが、三本柱は名物は棒すし、箱すし、そして上ちらし。
ちょっとしたお呼ばれ時に棒すしを持参すると、どれほど喜ばれたことか。店の裏で炭火焼きする穴子の香りに誘われて、何人が穴子の棒寿司をつい予約してしまったことか。上ちらしのフタをとった瞬間に、どれだけ多くの人が感嘆してきたことか。
ファンは、全国にいた。店は5代続き、近年は5代目とそれを支える職人の岡山さん、5代目亡き後は奥さんと岡山さんで、暖簾を守ってきた。

ところが。

奥さんの体調がすぐれなくなり、2018年、突然のれんを下ろしてしまう。
余談だが、「たこ竹」では創業からほどなく鮨とうどん、個々に店を始めるが、うどん店では、うどんとともに蒸し籠に入れたおあげと天麩羅を出していた。が、多くのお客は、おあげをうどんに入れて食べる。ええぃ、もう面倒だ!ということで(か、どうかは定かではないが)、店ではうどんにおあげを入れて出すようになった。
その後「たこ竹」はうどん店を閉じるのだが、その際に店で働いていた職人が独立。新たなメニューとして、当時の逸話から、きつねうどんが誕生している。

要するにいろいろな意味で、大阪にとって大切な一軒なのだ。

 

粋なファンがいて、暖簾はまたはためく。

 

2020年、「たこ竹」は復活した。
口寂しさを抱えるファンを多く生み出してしまった2年を経て、創業の地である松屋町から日本一長い商店街で知られる天神橋筋商店街へと移ったが。暖簾は変わらないし、戸を開くと岡山さんの元気な声もそのまま。
聞けば、「たこ竹」の閉店を惜しんだとある社長が「たこ竹は大阪の宝やから、なくすわけにはいかん」と、天神橋筋商店街に店を用意し、再開をお願いされたとのこと。
かつてと違うのは、穴子を炭火で焼けなくなったこと。
ただ、あくまで〝現在は〟という話であり、そこもいつか、復活してくれるだろう。

復活にあたり、宣伝はしなかった。新たな場所で一からお客さんと向き合うためだ。とはいえ店は既に、大盛況。復活を知ったファン、どんな店かは知らないが入る人が多いからと誘われて初めて口にした人、こもごも。
勝手知ったる場所ではないため、まだ動きづらいと岡山さんは言うが、それでも、棒すしを仕上げるテンポの良さは、変わらず。

 

変わらないものと、変わってほしいことと。

 

棒すしとともに、上ちらしを求めた。

酢締めの鯛、穴子に海老、玉子、でんぶ、三つ葉、木の芽に椎茸に赤紫蘇。器の中にこれらが踊るように、それでいて整然と敷き詰められていて、その姿に安堵する。口の中の味をあとからくっとまとめてくれる酢飯も健在。
店を閉めている2年の間に赤紫蘇の入手が難しくなり、難儀しているという声に一抹の不安を覚えるが、どうか、何事もなくこの美しさが続くように、と願う。

願うと言えば、店は再開したものの、後継者がいない点は変わらない。
現在の店は「期間限定の営業」と貼り紙がある。期限が決まっているわけではないが、ここでずっと営業を続けるということではないようだ。期間限定復活の間に、岡山さんに弟子ができないものだろうか。そうして弟子とともに、いつか松屋町に・・・とも願わずにはいられない。

やがて訪れるかもしれない終焉が脳裏をかすめるが、瞬時にかき消す。

 

 

たこ竹
大阪市北区天神橋3-8-1 シンワビル1F

2022年4月

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