国家鎮護の願いが今なお、ある。
聖武天皇が人々の平安と国家鎮護を旨として「必ず良い場所を選び長く保つように」と国分寺建立の詔を発したのは天平13年(741)年のこと。
各地で土地の選定が始まるが、なかなか思うようには進まなかったようだ。しかし安芸国では、早々に国分寺造立が着手していた。安芸国分寺である。
昭和の時代に行われた発掘調査によると、現地では詔のすぐあとから宗教活動が行われており、その場所が国分寺として整えられたようだ。当時の国分寺は安芸国分寺歴史公園となっているが、実はその隣でいまも、安芸国分寺は安寧の法灯がゆらめいている。
最寄りはJR西条駅。駅の南側は、江戸時代に宿場「四日市」があった場所。物資の中継地として栄え、その後近代になり、大正時代に酒造会社3社が酒造りをはじめ、現在は酒蔵通りとなっている。ふらり歩きたくなるが、今回の目的地は駅の北側。
数年前から駅北側の整備が進み始めてはいるが、南北でこれほど雰囲気が異なるのかと驚くほど、穏やかで、民家の先に山が近い。
住宅の間の細道を10分ほど歩けば、趣きある山門が出てくる。
寺は「場」である。を地でゆく住職。
現在の住職は第149代、有瀬光崇師である。以前別の取材でお話を聞かせていただき、その後も時折連絡を取らせていただいていたが、直接お話しするのは3年ぶりだ。
有瀬師が住職となってから、寺は宿坊ができ、寺子屋が始まった。聞くとこれから、定期的に人が集まれる場も用意するという。
地域の方に寄っていただける、頼りにしていただける、そんな地域のお寺でありたい。以前も今回も、有瀬師の話にはその思いがしっかりと根を張っていた。
そういえば訪問したい旨を電話で連絡した際、午前中は予定があるから午後から、ということになった。当日伺ってみると、境内中央に盆踊りの櫓。午前中の予定とは、地域の人たちと共に櫓を組むことだったのだ。
盆踊り保存会の皆さんも地域の方も、毎年楽しみにされていますから、と櫓を見る有瀬師の表情は、実に穏やかである。
今回有瀬師より教わった言葉は、伽藍説法。
いろいろと話す僧侶である前に、境内が人々を迎える場となっているか、伽藍が整えられているか。山門をくぐったときに感じていただく空気で、人々に安らぎを与えられるように日々できているか。
寺の佇まいこそが説法である、ということらしい。
訪れるすべての人に開かれた場であることが、有瀬師の安芸国分寺なのだ。
寺院に何を求めるか。そもそも求めてはいけないのか。
近年、仏教は葬式仏教と揶揄されることもある。多くの地域寺院が運営の危機にあるとも言われる。状況を変えるべくさまざまな活動を行っている寺院もある。
人を集めるために何かを行う寺院があり、それに惹かれて足を運ぶこともあるだろう。ご本尊に会いに行くために訪れることもあるだろう。もちろん念仏のためにも、心の修行のためにも、つまり理由は人の数だけある。
何かを求めて行くこともあるだろうし、なにげなく足を運ぶこともある。大切なのは場、なのだと感じる。
何も求めずに訪れたつもりでも、心の中に何かを得られたり、何かが芽生えたりするのは、寺院が持つ場の力。
スピリチュアルとかパワースポットといったカタカナ言葉は関係なく、自分はどうなのか、である。
仏さまの教えは、まず自分に向いている、とは、ある僧侶から伺った話。
理由はどうであれ、参拝すれば何かがある。寺院とはそんな空気感ではないか。
伽藍説法とは、よくできた言葉だと思った。
個人的には安芸国分寺の宿坊で、翌朝の精進料理も楽しみにしているが。