寺と神社とまちと人。

山裾に、夫婦の巨岩が立っていた。

文化財の宝庫と呼ばれるまちで。

 

和歌山県は記紀に登場する場所が多くある、歴史のまちだ。なかでも万葉の時代から都人が訪れた和歌浦を有する和歌山市、熊野古道の王子が市内に9つもある海南市は、複数の時代が交差するおもしろさがある(と勝手に思っている)。

海南市南部の下津町は、平成17年の合併で海南市となった。柑橘のふるさととして記紀にも記載されるほど古くからある町で、今も下津みかんや枇杷の栽培が盛んだ。
とはいえ、最盛期の頃に比べるほどはないようで、後継者不足の声がそこ、かしこで聞かれる。
この下津町、実は県内有数の文化財の宝庫である。和歌山県下の国宝件増物7つのうち、実に4つが町内。県史跡を含めると、文化財の数はまだある。
神社の祭はまだ生きていて、奉納花相撲(山路王子神社)、菓子まつり(橘本神社)など、地域の風物詩として大切に続けられている。
そのなかに「大餅投げ」というのがあった。単に餅が大きなだけではない。なんと2時間ほど、餅が投げ続けられるという。

 

年に一度、子どもの声が響く。

 

「大餅投げ」が開催されるのは、立神社(たてがみしゃ)。1,200年ほど前に京都の上賀茂神社から神さまを勧進したと由緒にある。
祭は五穀豊穣を祈る春祭りとして、毎年5月3日に行われる。海に近い下津町中心部から車で10分ほど山の方へ進んだ場所にあるため、普段はひっそり、人とすれ違うことも少ないのだが、この日だけは、町内外から700人ほどが、境内にひしめき合うそうだ。
中には、この祭りのために里帰りをする人も。

投げる餅はトータル約1トン。ご祈祷のあと、女児による巫女の舞が奉納されると、いよいよ。小餅が飛び、そのあとに大餅が宙を舞う。それを取ろうと地上では争奪戦が繰り広げられる。昔は舞ではなく子どもによる大神楽だった、餅は町内7つの地域から、ついた餅が奉納される、しかもかつては行列になって運んでいたなど、気になる話は多い。

人口減少の真っ只中にあり、大神楽がなくなるくらい子どもの声も聞こえなくなった地域だが、それでも祭を守り続けているし、この日だけは境内に子どもの声が戻るのだ。
その事実だけで、なんだかほっこりする。

 

奇岩は、ずっと立っていた。

 

ところで立神社。拝殿の横に、高さ20メートルはあろうかという巨岩がふたつ、夫婦のように立っている。これは御神体なのだそう。
上賀茂神社から神さまが勧進された欽明天皇の時代よりも古くからここにはこの岩が立っていたわけで、古代から、神社の境内地は祭祀の場所だったのだと推測される。
神社は豊作、虫除け、雨乞いのご利益があると聞く。古の人々はみかんや枇杷を育てる合間に、この夫婦岩を訪ね、祈り続けてきたのだろう。

ちなみに手水は、700年以上枯れることなく湧き続ける名水。
山手に向かって道が細くなった先にあるため、観光で訪れることは少ないかもしれない。それでも、祈りが生き続けている地は、人が通うことで生き続ける。

 

 

立神社

 

 

 

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